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赤穂城を攻める 軍師編

赤穂城の神髄、甲州流軍学をマニアックにじっくり楽しむにはこちら。赤穂城の石垣には、実際に攻めてみないとわからないような防御の仕掛け「横矢掛かり」がたくさん作られています。一般の散策コースではない石垣の外側や空中写真に注目して赤穂城を深掘りしてみましょう。あなたはこの城を攻略できるでしょうか?

赤穂城の神髄、甲州流軍学をマニアックにじっくり楽しむにはこちら。赤穂城の石垣には、実際に攻めてみないとわからないような防御の仕掛け「横矢掛かり」がたくさん作られています。一般の散策コースではない石垣の外側や空中写真に注目して赤穂城を深掘りしてみましょう。あなたはこの城を攻略できるでしょうか?

  • 大手門枡形

    赤穂城の玄関口にあたる大手門枡形は最も厳重な防備施設である。高麗門と櫓門の2門が直角に設けられて枡形を形成した。さらに枡形裏手は広い武者溜まりとなり、応戦に有利であった。

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  • 塩屋門跡

    赤穂城の搦手となる城門で門前は木橋があった。門脇の石垣は鋭角と鈍角の角をあえて作り出した全国唯一の石垣で、門前にきた敵兵に攻撃するために幾重もの石垣の折れが作られていた。

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  • 横矢屏風折

    直線の石垣に突如鋭角の石垣が飛び出したもの。両側に弓矢を射かけるための構造と思われる。

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  • 厩口門

    発掘調査によって門礎石や脇の石垣などが良好な状態で見つかり、門、橋、土塀及び周辺石垣が整備された。門脇の石垣が曲線を描いており、放射状に迎撃することができる。

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  • 山鹿素行銅像

    山鹿素行は赤穂城築城の初代藩主浅野長直が師事した山鹿流軍学の祖。赤穂城築城中に二之丸門の縄張りを変更したとの日記が残され、発掘調査の成果でも検証された。幕府批判の罪を受けて赤穂に9年間流されていた際に多くの著作を著した。

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  • 水手門跡

    瀬戸内海に面した赤穂城南端の門跡。やや幅の狭い門で、門を出ると雁木(階段)となり、船着き場となっていた。

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  • 曲線の石垣

    二之丸水手門脇の石垣は大きくカーブを描く。水手門に船を着岸しやすいように、もしくは海上からの敵に対して放射状に攻撃ができるよう曲線状に構築されたと考えられる。

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